ですが、私たち日本の医師、4名には、そういう考え方は、その当時ですら、違和感を覚えるものでした。
もしかしたら、製薬メーカーが、そういう考え方をするようにと、つまり、本来、副作用である部分が消えて、良い作用だけ残る都合のよい薬剤であることを強調するために、この用語は意図的に造語されたのではないか、とすら疑ったくらいでした。
パネルディスカッションの順番が回ってくる間、GLP1注射の問題点について、各世界のエリアごとに問題提起しなさい、という課題を課せられてきました。どんどん各国が発表するなかで、この「GLP1タキフィラキシーは望ましいこと」というコンセプトがあったためか、他の国からは、ひとつも、悪心、嘔吐が強いことが、問題として議論されなくなっていました。
結局、私たち日本チームの番になった時、日本としては、もともと民族がらか、ALDH2遺伝子多型のせいなのか、お酒をのむと、悪心、嘔吐が強い民族であるという背景もあるせいなのか、GLP1タキフィラキシーを、そのままの、副作用だけが減弱し、効果は持続する、という、コンセプトには、少しだけ反対します、やっぱり、ちょっとした、悪心、嘔吐があれば、高濃度のGLP1注射は、うけいれがたいものです、と反論をしました。
どうして、そういう、日本だけが孤立した立場になったかというと、実は社会的背景もあります。
日本では、ビクトーザの至適投与量が、欧米のように、1.8mgではなく、半量の、0.9mgであったからなのです。従って、0.9mg以上の高用量のGLP1注射ですら、最大、受け入れ幅の限界であるのに、より多くの投薬をして、そうしても、悪心、嘔吐の副作用が消えれば、それでよし、という実感は、わかなかったという、背景もあったのでした。
結局、その、グローバルなGLP1サミットでの、結論のところに、日本だけは、以前として、「悪心、嘔吐が強い」という問題が、プロジェクターに映し出されて、他の国の糖尿病専門医の結論とは、異なる意見が、掲示されました。
200名ほどいた、世界中の糖尿病専門医からは、「えっ」という不思議なまなざしで、みられました。
おそらく、それは、ビクトーザの発売前後、ですから、2010年頃のことだったと思います。(詳しい年月日は忘れました。すみません。ブログですから、許してください。)
ですが、その当時の日本では、ビクトーザは、ビクトーザ単剤か、ビクトーザとSU剤との併用の、2つの方法しか、投与法が許可されておらず、特に、ビクトーザとSU剤とを併用すると、就寝前に、極度の空腹感に襲われて、結局、寝る前に食べてしまって、血糖コントロールができない、という臨床的な課題も、つきつけられていた当時の頃だったように思います。
(続く)